出来ることだけやる
自分が出来ること(満足)にフォーカスすれば自信が湧いてきます。
自分が出来ないこと(不足)にフォーカスすれば不安が湧いてきます。
みなさん仕事でも勉強でもなんでも、目標があるかもしれません。目標と努力の方向性は合わせる必要がありますが、目標の水準と現状の水準はあまり気にしてもしょうがありません。現状で目標に達していないと、「出来ていない」ことに意識が行ってしまいます。
だから、普段気にするのは方向性がずれていないかだけ。
目標と現状の比較はたまにでいい。極端なことを言うと、方向性のずれさえないと確信出来ていれば、比較はしなくてもいい。「出来ていない」という思いはブレーキになるだけだから。
敢えて極端な路線で書いてみましたが、「自信」より「不安」が大きいと感じたときは、自分が出来ることにだけフォーカスしてはどうでしょうか。
理想を持たない
あるときまで私は理想をいろいろと持っていました。
ある分野の世界トップ企業に就職し、画期的な新製品プロジェクトにも参加し、自分の成果がなかったら出荷後訴訟問題に発展しただろうという潜在的課題もいくつか解決することができました。おかげでその後の仕事の幅も広がった。そこまでは良かったが、自分の理想と、組織の現状に段々ギャップを感じ始め、フラストレーションが溜まることが多くなっていきました。
徐々に精神的に消耗し、そこに名物パワハラが加わって更に消耗し、最終的にとあるチームリーダーを降りることになりました。しかもそれにとどまらず、移された先のチームがちょっと特殊でしばらくいじめ抜かれることになりました。
そうとうしんどい数年間を過ごしましたが、あまりにも理想と現実のギャップが埋めがたいほどに広がり、とうとう最後には理想を全て投げ出す心境になりました。
すると苦しみが嘘のようになくなり始め、そのときからどんどん現状を変えていけるようになりました。「現状をありのままに受け入れる」ことが理想を持つことより大事でした。
また、それまでは、「理想を持たないと努力できない」と考えていましたが、「理想は努力の幅を狭めることもある」ことを学びました。
理想を持つこと自体は自然なことかもしれませんが、理想によって自分が苦しむようなら、理想を一度捨ててみましょう。そして、現状を全て肯定してみる。理想がなければ現状を否定することもできないはずです。現状が全て肯定できれば、段々力が湧いてくるはずです。
そして、力が全く湧いてこないときはまずはゆっくり休みましょう。
お金がなくても2
前回のブログをちょっと補足しようかと。
ちょっとした思考実験をば。
例えば、お金が手元に100万円あるとする。でも、もし、このお金を使うという発想がなかったら?あるいはなぜかそのお金は使えないと思い込んでいたら?
お金の持ち腐れですよね。
上の100万円を他のもの、能力とかサービスとか愛情とかいろいろ置き換えてみれば、どうでしょうか。
本当にお金がないと、ほとんどの物やサービスは受け取れないのでしょうか。
まず自分には、世の中の物やサービスを受け取る資格があると分かれば、自分の持っているものの活かし方がわかってくるとは思いませんか?
さらに推し進めると、見返りなしに何かをあげたりもらったりという社会も見えてきます。
邪魔をしているのは、観念、思い込みです。
お金がなくても、借金があっても
一般的な生活を送っていると、お金って必要ですよね。
お金があるといろいろ出来る。じゃあその逆はどうか。何かをするにはお金がないといけないか。
改めて考えてみると、お金がないと出来ないことって本当はないですよね。お金がないと出来ないと信じてることはあるかもしれないけど。借金がある人も、借金があるから出来ないことって、実はないですよね。同じく出来ないと信じていることはあるかもしれないけど。
だから、お金があるときはお金を使ってしたいことをすればいいし、お金がないときや借金があるときは、お金を使わずにしたいことができるようにすればいい。
私の好きな豊かさの定義に「したいことがしたいときに出来ること」というのがあります。そこにお金という要素は全くありません。
まずはお金があろうとなかろうと、借金があろうと、自分が本当にしたいことに意識を集中する。そこが豊かさの入り口です。
GDPとか国の借金とか関係なく豊かな社会は実現できます。そういう豊かな社会って良いと思いませんか?
責任はフィフティ・フィフティ
人それぞれが置かれている状況はそれまでの外部環境と各自の頑張りと両方があって成立している。具体的にそれぞれの寄与度はわからないけれど、まあ50%づつと考えておけば、どちらかに偏ることもないんじゃないだろうか。
困った状況になったとき、もし「あいつが悪い、環境が悪い」という考えに占有されたら、「でも自分の責任もあるよなあ」と考えてみる。もし「俺はなんてダメなんだ」という考えに占有されたら、「でも、環境も悪かったししょうがない」と考えてみる。
そうやって、考え方のバランスをとっていけば、割と冷静に状況を判断して次へと進むことが出来るんじゃないだろうか。そうやって責任を自分と環境に50%づつ割り振るのは、ある意味無責任なのかもしれないけど、破滅を防ぐ知恵だと思う。
考えが偏ってると感じたら、真逆の考えも取り入れてバランスを取ろう。
苦手なことはなるべく止めて得意なことに集中しよう
日本にありがちな(偏見かもしれないが)考えとして、苦手なことを克服すべき、というものがある。受験勉強とかでも、「苦手の克服」といったフレーズはいろんな塾の広告などで目にする。
そもそも「苦手の克服」というのは、減点法の考え方から出ていると思う。まず満点というラインがあって、出来ないこと・苦手なことがあるとそこから点数を引かれていく。そういう前提の中で、良い点を取るためには苦手なことを克服するしかない。
減点法の逆はといえば、加点法である。スタートラインは決まっているが、得意なことがより多く、より高度であるほど点数が伸びていく。
幸せに生きるという観点から見ると、減点法より加点法のほうが圧倒的に優れている、と僕は思う。まず、減点法は幸せの上限が決まっている。ある一定以上の成果を越えれば、評価的にはそれほど変わらず、合格点を超えてホッとするだけである。しかも、満点近くを常に維持出来るとは限らない。常に変化する社会の要請というものに合わせて、自分の苦手を潰していかなければいけない。自分が環境に合わせるイメージで受動的である。
一方、加点法を前提に生きるなら、どんなに頑張っても出来ないことに時間をかけず、自分の得意なこと・好きなことをどんどん進化させ、個の中で複合化させたり他人とコラボしたりすることでいくらでも喜びや社会への貢献を増やしていくことができる。この喜びには上限がない。自分が出来ることをどんどん産み出し、環境へ影響を与えていく、能動的なイメージである。
なぜ、この世にたくさん人がいるか。お互いに得意なことを活かして、お互いの苦手な部分を補い合って、個が集団のため、集団が個のために働いてみんなが幸せになっていくためであると僕は考える。極論を言うと、減点法は、個が個自身で完結することを求める。そこに集団の良さは生まれにくく、烏合の衆になっていく。
だから、日本はもっと幸福になっていくために、苦手な加点法を身につけよう!という自己矛盾したスローガンで終わってみるテスト。
もっと生きやすい世の中(日本)へ
自分はphaさんのブログや著作を見るようになって、改めてもっと日本が変わるといいなと思うようになった。
自分はニートというか、一般的な意味で働かない人を、否定も肯定もしないのだが、今の日本の状況でそういう人が増えるのは必然だと思っている。
その流れを以下のような仮説で考えている。
1.企業の大半が、社会を良くするというより、利益追求(それも会社の一部幹部や一部株主のためにという側面が強い)しか考えてなくて、その利益を最大化することを目的としている。
2.上記のような企業の利益と、社会の幸福度の方向性が一致しない場合が多い。
3.社会全体の幸福度に貢献できない仕事に頑張れない。
もちろん働くための価値観は人それぞれだと思うが、一昔前の生存競争社会から、豊かな社会になってきて、一昔前の論理(食べるために働かないといけない)に合わない個人が増えてきたのだろうと思う。
だから、今は価値観や働き方の大きな転換点の真っ只中で、徐々に新しい社会に移行する中でニートの中から働き始める人が増えてくるだろうと予想している。
書いてみて思ったが、短い文章で自分の考えを伝えるのは難しい。どうしても論理の飛躍が出がちだ。でも詳しく書くと読みづらい。書いていくうちに両者のバランスを取れるようになりたい。